雑なクラシックの部屋

クラシックのCDに埋もれて死ねれば本望。

ニールセン:交響曲第4番「不滅」

デンマークの作曲家・ニールセン(1865-1931)は6曲の交響曲を書いた。
特に第4番以降の3曲は古典的な交響曲の調性感覚をはみ出しているという作曲家の自負があり、そのため交響曲「○○調」という名前はつかない。


「不滅」という副題は作曲家がつけた副題によるものだが、直訳すると「消しがたきもの」となり、邦題「不滅」はその意訳である。
昔、マルティノン盤のLPが出るにあたり、この「不滅」という表題がでかでかとジャケットを飾った。相当なインパクトだ。



第一次世界大戦前後の不安の時代の中で人間の持つ「不滅の魂」を音楽にしたものといわれている。
独特の楽器の重ね合わせや楽曲構成が特徴のニールセンの交響曲の中で、この曲は比較的オーソドックスであり、加えてベートーヴェンの交響曲のような、強靱な音楽の力と、劇的な展開を持って親しみやすい。


なお、全体は単一楽章の音楽で、切れ目なく演奏されるが、音楽の展開上では大きく4つの部分に分かれ、それらが旧来の4楽章の音楽と対応している。各部の主題や動機は相互に関連を持っており、全体の統一が保たれている。
北欧風の透明感高いメロディが印象に残る。


特徴的なのは第4部で、ティンパニがオーケストラの両翼に1組ずつ構え、序盤と中間部、そして終結に豪快な打ち鳴らしをする。
最後は第1部で鳴った主要主題が力強く再現され、先のティンパニの打ち鳴らしとともに感動的な終結を迎える。


この曲、日本ではほとんど注目されないが、欧米では比較的よく演奏されており、カラヤンやバーンスタインもこの曲の録音を遺している。日本でも1980~90年代は先のカラヤン、ブロムシュテット、サロネン、少し遅れてベルグルンド、サラステなど、CDが何組も出ていてカタログを賑わせていた


また、アニメでも、劇場版「銀河英雄伝説」で第4部の前半が使用され、それでこの曲を知った方も多いと思う。 


ところが、21世紀に入ってから、新譜が出てくることはほとんどなくなった。
僕が最初に手に取った演奏はブロムシュテット指揮、サンフランシスコ交響楽団のもの。長い間この演奏だけを聴き続けていたが、数年前に違う演奏を聴いてみようと思ったところ、既にCDのラインアップがものすごく減っており、探すのにすごく苦労した。


さて、この曲であるが、僕の一押しCDは、サロネン指揮、スウェーデン放送交響楽団のCDである。


発売後ほどなくして廃盤になり、以後20年近くの長い間カタログから消えている。
最初は海外でも廃盤状態で、わざわざ中古を輸入して手に入れたのである。
最近ようやく海外で全集が復刻されたが、国内では相変わらずカタログから消えたまま。


でも、この演奏を聴いた後、ブロムシュテットの演奏を手に取ることは全くなくなった。


当時指揮者のサロネンは26歳、これがCDデビューであったわけだが、
演奏は他のすべての演奏に冠するもので、音楽自体の素晴らしさを有機的に表現した、絶対の自信をもっておすすめできる名演である。


この演奏を聴いて初めて、この曲が「本当の意味で」大好きになった。
それまでシベリウスとショスタコーヴィチがミックスされた晦渋な音楽だったこの曲が、僕に内なる力を与える、文字通り「不滅」の音楽となったのである。


最初の金管が鳴ったあと、ティンパニのリズムに乗せてフルートを中心とした木管が勢いよく鳴るが、サロネンの演奏におけるこれら動機の輪郭線は非常に鮮明かつ有機的で理想に近い。(Track1の2:15)の弦の歌の入り、(同2:53)のリズムの意味づけも素晴らしい。


その後もサロネンは旋律や動機の浮き沈みをコントロールしながら、複雑なニールセンのオーケストレーションを実に巧みに音楽化していく。提示部の最後(同4:43)で金管がファンファーレを鳴らすところ、思い切りテンポを落とし、金管のバランスを強め、朗々と鳴らしながらうるさくならないのが良い。


第2部の木管の涼しい歌、第3部冒頭、高弦の哀しさも見事だ。


第4部はなぜか録音の音量レベルが落ちており、それが不満だが、両翼配置のティンパニの掛け合い(Track4の1:11)は素晴らしく、その後の弦楽器と木管の重ね合わせ(同2:25)のバランスも見事。
中間部(5:15~)で両翼のティンパニが打ち鳴らし合いをして、金管とともに大きく盛り上がった頂点での総休止(同6:09)、これしかないと思えるほどの決まり方である。


というわけで、肝心の第4部の音量が不満という欠点を持ったCDではあるのだが、
僕は第4部だけ音量2~3割増しにしたWAVファイルを作って全曲ハードディスクに取り込んで、USB-DACを通じて聴いている。
CDは全集でしか入手できず、しかも輸入盤で楽曲説明もないが、その代わり2,400円と安価である。


交響曲全集、管弦楽曲集 エサ=ペッカ・サロネン & スウェーデン放送交響楽団(6CD)
交響曲全集、管弦楽曲集 エサ=ペッカ・サロネン & スウェーデン放送交響楽団(6CD)
Sony Classical *cl*
ミュージック



最近、このサロネンの演奏に匹敵する演奏が出てきた。
パーヴォ・ヤルヴィ指揮、フランクフルト放送交響楽団の演奏である。
2013年4月19日のライブで、同オーケストラが公式にアップさせている。
原盤はARTE。



Nielsen: 4. Sinfonie (»Das Unauslöschliche«) ∙ hr-Sinfonieorchester ∙ Paavo Järvi



器楽的な意味での名演奏であり、どの一部をとっても楽器が有機的に鳴っており、うるさい部分、曖昧な部分が全くない。まさに名人芸である。
こういう「無国籍的」(こういう表現は良くないのかもしれないが)な音楽を演奏すると、パーヴォ・ヤルヴィは素晴らしい。


CDも出ている。これも今のところ全集でしか入手できないのが残念なところだ。
価格も5,000円を超える高価なものだが、その代わり全曲ムラ無く素晴らしい演奏である。


ニールセン:交響曲全集
ニールセン:交響曲全集
SMJ
ミュージック



サロネンのような北欧の空気を感じる演奏を、音量の不満なしに聴くための第2選択が、サラステ盤である。
サロネンのような思い切ったテンポの落差をつけた表現をせず、メリハリがもっとほしい、という気がするのだが、それでも指揮者の楽曲に対する共感・思い入れが演奏によく表れている。
第4部の打楽器の掛け合いの迫力も素晴らしい。
CDは中古でしか入手できないが、是非聴いて欲しい。
第5番も素晴らしい演奏である。


ニールセン:交響曲第4&5番
ニールセン:交響曲第4&5番
ワーナーミュージック・ジャパン
ミュージック

マーラー:交響曲第1番

この曲には「巨人」という副題がつけられることが多い。
ただ、ジャン・パウルの詩の名前からとったこの副題よりも、
マーラー自身が書いた詩による歌曲集「さすらう若人の歌」との関連の方が強い。
第1楽章の第1主題、第3楽章の中間部など、「さすらう若人の歌」のメロディがそっくり使われている。


「さすらう若人の歌」を知る人は、この曲は聴かなければ損である。
逆も真だ。交響曲第1番を愛する人は、「さすらう若人の歌」も聴かないと損である。


僕が初めて聴いたマーラーの「第1番」はバーンスタインの旧版、1966年の録音。
聴いたのは中学の頃。
第1番の主題が出てきたとき、その陰りに驚いた。
とても20代の作曲家が書く歌とは思えなかった。
人生って素晴らしいものだ、という思いを、人生の終わりの場面から振り返っているように思った。
マーラーは20代にして既に先にある死を思っていたのだろうか。


そして僕もマーラーの作った陰りに惹かれて、いろんな交響曲のCDを集め、今に至る。


バーンスタインの旧版は、その後いろんなCDが出た今に至っても、この曲の名演奏のひとつである。


バーンスタインとこの曲との相性は抜群だ。
彼はこの曲が大好きで大好きでたまらなかったのだろう。
そしてこの楽譜を読んだとき、想像力と創造性の羽ばたきを抑えきれなかったことだろう。


すべての場面に音楽に対する愛がある。
思いをこめて、それを表現にするたびに音楽が生きていく。
幸福な場面の連続が、この演奏にはある。


新盤(1987年録音)の、70代にさしかかった指揮者が過去を振り返るように曲を見つめた演奏も素晴らしいが、
この曲の僕にとってのふるさとは、今でも旧版である。


バーンスタイン(指揮)ニューヨーク・フィルハーモニック★★★★★★★★★9

マーラー:交響曲第1番「巨人」
マーラー:交響曲第1番「巨人」
ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル
ミュージック


バーンスタイン(指揮)アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団★★★★★★★★★9

マーラー:交響曲第1番「巨人」
マーラー:交響曲第1番「巨人」
ユニバーサル ミュージック クラシック
ミュージック


ワルター(指揮)コロンビア交響楽団 ★★★★★★★★8

マーラー:交響曲第1番「巨人」&さすらう若人の歌
マーラー:交響曲第1番「巨人」&さすらう若人の歌
SMJ
ミュージック



60年前の歴史的録音だ。
この熟した演奏を好む向きも多いと思うし、
実際に大学時代の後輩のひとりも、「この曲の決定盤」と言っていた。
ただ、僕には、荒れ狂う思いが反映されているこの曲の表現としては、老熟しすぎているかな、という思いがする。


なお、僕が実演で接した名演奏は、1992年のウィーン・フィル来日公演でジュゼッペ・シノーポリが振った演奏である。
来日して初めての演奏(大阪公演1日目)、しかも本来振るはずだったカルロス・クライバーが例によって直前にキャンセルしての代振りで、リハーサルも十分でなかったであろう中での演奏。


実際に前半は演奏の縦の乱れが多くてハラハラドキドキ、明らかにウィーン・フィルのベストフォームではなかった。


その一方で、後半は素晴らしかった。
特に第4楽章の後半。
挫折と絶望、心の崩壊、
それに続く第1楽章の懐かしい回想、そしてそこから最後の最強奏に繋がる10分間。
それは「本気のウィーン・フィル」、そして「本気のシノーポリ」であった。
前半プログラムのリヒャルト・シュトラウスの「ドン・ファン」の名演奏とともに、
30年近く経つ今でも心の中に生々しく蘇る、僕がクラシックの実演で接した最高の時間のひとつだ。


東京公演の、同じプログラム(NHKホール)による演奏がDVDで販売されている。

NHKクラシカル ジュゼッペ・シノーポリ ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1992年日本公演 [DVD]
NHKクラシカル ジュゼッペ・シノーポリ ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1992年日本公演 [DVD]
NHKエンタープライズ
DVD



もうひとつ、シャルル・デュトワが宮崎国際音楽祭で振った演奏も忘れてはいけない。


こちらは僕が接した演奏でなく、ネットの世界に落ちていた音源を聴いて、映像を見て、驚愕の思いをした演奏である。
2009年8月17日、メディキット県民文化センターでのライブ。
一時期ニコニコ動画に、このままCD化してもいいような生々しい音の音源があったので、僕はこれをCDに焼き落として、繰り返し聴いている。


歌にあふれ、音楽には立体感があり、弦や木管にはニュアンスの妙がある。
金管も強音から弱音まで抜群の安定感だ。
メンバーも実力者が揃っていて、臨時編成とは思えないうまさだ。
一発ライブなのにミスがごく僅か(細かく聴いてわかる程度)、というのも凄い。
第3楽章のコントラバスのたどたどしい表現や、中間部の「さすらう若人の歌」終曲からの引用部分における弦楽の美しさも素晴らしい。


ネットの世界で見かけたら、絶対に聴くべき(見るべき)演奏である。
バーンスタインやワルターの演奏に匹敵しうる、類い希な演奏だ。