雑なクラシックの部屋

クラシックのCDに埋もれて死ねれば本望。

ハチャトゥリアン:交響曲第3番「シンフォニー・ポエム」

もしかしなくても、この曲、クラシックファンよりも、往年の吹奏楽ファンの方がご存知だと思う。


演奏時間20~25分、単一楽章の曲。
作曲は1947年。ロシア革命30周年の記念演奏のために作曲された。


大オーケストラとソロトランペット15本が豪快に鳴る。
オルガンは超絶技巧を披露する。
あまりに演奏規模が大きいため、「地方で演奏できない」と当局から怒られたらしい。


さらに、オルガンの要求技術が難しすぎるので、しばしば短縮されている。


吹奏楽では、最初と真ん中と最後を抜粋して5分半~6分半にして、コンクールで演奏可能なアレンジにしている。
さらに原調では吹きにくいので、半音下げて、最後がハ長調で終わるようにしている。
秋田県立花輪高校が最初に披露して、コンクール高校の部金賞(1位)を受賞したことで知られている。その後いろんな中学、高校で演奏されている。


ソビエトの祝典音楽なのであまり深みとか、アルメニアの民族音楽がどうかとか、追い求める必要はないのだろう。
派手で豪快な音楽を聴きたいときに手に取って聴いている。
大音響ならマーラーの交響曲にも負けないし、演奏時間だってお手頃だ。


うまい演奏を聴きたいと思えばネットにも落ちてる吹奏楽アレンジの方が良いかもしれない。
先の花輪高校、さらに福岡県立嘉穂高校、津幡町立津幡中学校など、見事な演奏だ。


その一方で、全曲演奏は普通のオーケストラには荷が重いようだ。
本場物のチェクナヴォリアン指揮、アルメニア・フィルは、アルメニア音楽独特の前進する勢いと情熱があって魅力的だが、演奏技巧的にはお世辞にもうまいと言えず、これがコンクールなら確実に地区予選落ちだ。
しかもCDは数枚組のお高いものしかない。
僕はオリコンミュージックストアで入手した。


全曲聴けて、技術的にも満足できる演奏で、僕がCDで持っているのは、グリュシチェンコ指揮、BBCフィルハーモニーの演奏。アルメニア風、ハチャトゥリアン風の前進する勢いというものはうすいが、大音響の快感を味わうことができる。

ハチャトリアン:交響曲第3番≪シンフォニー・ポエム≫
ハチャトリアン:交響曲第3番≪シンフォニー・ポエム≫
ミュージック

もうCDでは手に入らないかもしれない。ただ、ネットに音源は落ちているはずである。

モーツァルト:交響曲第40番

モーツァルトという作曲家が人類史上にいたことを知らない人は、ある程度知識のある人の中にはたぶんいないと思う。
中学の音楽の授業をまじめに聴いていれば必ず出てくるはずだから。


それを前提として、人生送る上で絶対に聴いて欲しいモーツァルトの曲が4曲ある。
1. 「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」の第1楽章 
2. 交響曲第40番の第1楽章
3. トルコ行進曲(ピアノ・ソナタ第11番の第3楽章)
4. ピアノ協奏曲第21番の第2楽章


メロディ聴けばわかる人がほとんどだと思うので、
CDやネットなど、どんな演奏でもいいので、上記の曲名で探して聴いてみて欲しい。


どれも甘いメロディなので、クラシックが苦手な方にもいけると思う。
(お酒を勧めるときの文句みたいですね)


モーツァルトは35年の短い生涯の中で、番号付きの交響曲を41曲書いている。
(番号のついていない交響曲も何曲かある)
そのうち40番目の曲。


ちなみに、僕は、実家にあった、カラヤン指揮、ウィーン・フィルの演奏を聴いて育った。
だから、テンポも、繰り返しも、オーケストラの響きも、基準にあるのは、カラヤン指揮、ウィーン・フィルの演奏である。


速いテンポで急くように曲が流れていく。
心に吹く嵐とでもいうのだろうか。
ウィーン・フィルのこくのある響きが曲によく合っている。
60年前の録音だが、普通に聴くなら(オーディオマニアでなければ)充分美しいと思える音質だ。
今でも、この演奏を自信を持ってお勧めできる。

モーツァルト:交響曲第40番&第41番「ジュピター」
モーツァルト:交響曲第40番&第41番「ジュピター」
ユニバーサル ミュージック
ミュージック

同じ時期に録音されたワルター指揮、コロンビア交響楽団の演奏は、もう少しゆっくりとしていて、メロディの鳴らし方がもう少し甘くて、どこか哀しい。
第1楽章の再現部に突如として現れる全休止、これはワルターだけの表現で、曲の中にある心の焦りの表現を強めている。


モーツァルト:交響曲第40番&第41番「ジュピター」他
モーツァルト:交響曲第40番&第41番「ジュピター」他
SMJ
ミュージック


ワルターの表現を少しかしこまらせると、クーベリックの表現になる。
あっさりしすぎず、線が細くなることもなく、程良い味わいだ。
カラヤンの演奏は速すぎる、と思うときは、これを聴いている。


モーツァルト:交響曲第40番&第41番
モーツァルト:交響曲第40番&第41番
ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル
ミュージック



これよりストレートが良い、と思うならば、現代はやりの古楽器の演奏から選ぶと良い。
ただ、僕の理解が不足する分野なので、挙げないでおく。


最後に、伝説の名演奏。
先ほどのワルターが、ウィーン・フィルを振ったときの演奏だ。
モノラルだが、この曲が好きなら是非聴いて欲しい。
第1楽章のメロディにはポルタメントがつき、ややクセのある出だしだが、ウィーン・フィルの響きが美しく、テンポや表現、すべてがこの曲にふさわしい。


モーツァルト:交響曲第40番&第25番(日本独自企画盤)
モーツァルト:交響曲第40番&第25番(日本独自企画盤)
SMJ
ミュージック

ベートーヴェン:交響曲第5番

「運命」という副題で呼ばれることが多い。


日本人は交響曲に「副題」をつけるのが好きで、何かと副題をつける。
 ドヴォルザークの交響曲第8番は「イギリス」(イギリスの出版社で出版しただけ)
 マーラーの交響曲第1番は「巨人」、第6番は「悲劇的」、第7番は「夜の歌」、第8番は「千人の交響曲」(のちに作曲者自身が削除)。
 ショスタコーヴィチの第5番は「革命」。
海外発のCDの表紙を見るとわかるのだが、どれも副題がついていない。


絵の題に「無題」とか、訳のわからない題がついていると不安になるのだが、その心理に似ているのだろうか。


僕は副題をつけるのは好きではないので、海外を含め一般に広まっているものは副題を尊重するとして(たとえばベートーヴェンならば第6番「田園」は副題を尊重する)、日本だけで広まっているものは基本的に副題をつけない。


話は戻る。
これは「ジャジャジャジャーン」の曲。
深刻な顔したベートーヴェンの肖像画とともに、「私こそがベートーヴェン、ジャジャジャジャーン」という感じが思い浮かぶ。
ベートーヴェンはこの曲の冒頭について、「運命はこのように戸を叩く」と言ったらしいが、証拠はない。


僕は中学2年の音楽の授業でこの曲に接して、以降ソナタ形式、交響曲のつくりを隅々まで学び、家にあったクラシックのLPを漁り、楽典の本を買い、以降クラシックの世界に足を踏み入れることになる。


狭い意味での交響曲は、
曲のどこかにソナタ形式の楽章がある、複数楽章の曲。
速い楽章、遅い楽章、舞曲、速い楽章の4つからなることが多い。舞曲が省略されることもある。
ハイドンがこの形式で曲を多く作って、以降多くの作曲家がこの曲形式を採用し、定義も拡張され、現在に至る。


ソナタ形式は、
主題の提示、主題の展開、主題の再現からなる、3部形式の曲の特殊形。
主題はたいてい2つ(曲によっては1つとか3つとかもある)、それぞれの主題の特徴は異なっていることが多い。
古典時代の交響曲では、提示部における2つの主題は平行調(調記号が同じ長調と短調の関係)もしくは属調(♭が1つ減るか♯が1つ増える調)の関係にあるものが多い。
一方で再現部の2つの主題は同じ調か、同主調(主音が同じ長調と短調の関係)で提示されることが多い。


ロマン派以降になるとかなり定義は自由になる。
作曲家によっては、管弦楽を伴うものを何でも交響曲と呼ぶようになる。
吹奏楽だけでも「交響曲」というものが出てくるようになる。


その知識と思いのたけを、中学3年の時に音楽のペーパーテストにすべて託したところ、1項目1点で計108点(集計は100点満点なので結局100点になった)の答案になったのである。


閑話休題。


最初に聴いた「第5番」の演奏は、マゼール指揮、ウィーン・フィルの来日公演のLPだった。
ジャジャジャジャーンの始まり、緊張感のある音楽、暗から明へ、苦悩から歓喜へと繋がるベートーヴェンの音楽美学が詰まったこの曲は、どんな演奏でもインパクトはある。


第1楽章 ハ短調、ソナタ形式。
第2楽章 変イ長調、2つの主題からなる変奏曲。
第3楽章 ハ短調 三部形式のスケルツォ。弱音からクレシェンドでそのまま第4楽章に至る。
第4楽章 ハ長調、ソナタ形式。


はじめての「ジャジャジャジャーン」から30年以上経過、よく聴いている演奏は以下の3種類。


ラトル、ウィーン・フィル
★★★★★★★★★9

ベートーヴェン:交響曲第2番&第5番
ベートーヴェン:交響曲第2番&第5番
EMIミュージック・ジャパン
ミュージック

ラトルは音楽を一度パーツに分解して、骨組みのように組み立てて表現する。
すなわち、「楽譜を解釈する」音楽を得意とする。
よってモーツァルトのようなありのままの美しさが求められる音楽や、
ワーグナーやブルックナーのように肢体の美しさがほしい音楽には向かない。
一方で最も強みを発揮するのがハイドン、
その次がベートーヴェン、さらにその次がマーラーだ。
そのベートーヴェンへの適性をよく示したのがこの演奏である。
曲の外観の美しさは、ウィーン・フィルという超一流のオーケストラが補ってくれている。


注意してほしいのは、ラトルの第5番を選ぶ時は交響曲同士(たとえば第2番+第5番、第5番+第6番)でカップリングされたCDか、交響曲全集を選ぶ方が良い、ということだ。


ラトルは第5番を同じウィーン・フィルと同じ時期に2回録音して、2種類とも世に出ている。
ひとつはここで紹介した演奏。
もうひとつは、チョン・キョンファのソロによるブラームスのヴァイオリン協奏曲とのカップリング。
演奏時間はすごく似ているが、別の演奏である。
そして、演奏の特徴も大部分似てはいるが、ブラームスとのカップリングの方はまだラトルの意図がウィーン・フィルに徹底されていないせいか、それともライブ録音のせいか、「ちょっとぬるい」部分や「成功していない」部分がある。


クライバー、ウィーン・フィル
★★★★★★★★★9

ベートーヴェン:交響曲第5番《運命》・第7番(SHM-CD)
ベートーヴェン:交響曲第5番《運命》・第7番(SHM-CD)
Universal Music
ミュージック

切れ味抜群の直球ストレート。
それだけなら現代の演奏に掃いて捨てるほどあるが、この演奏には、同時に至る所ニュアンスがあり、味わいがあり、音楽性がある。そしてウィーン・フィルの音色感の美しさがある。録音から既に40年以上経つが、この域に到達した演奏は多分出てきていない。
ますます神格化されている名演奏である。


フルトヴェングラー、ベルリン・フィル
★★★★★★★★★9

ベートーヴェン:交響曲第5番
ベートーヴェン:交響曲第5番
ユニバーサル ミュージック クラシック
ミュージック

クライバーの演奏よりももっと古く、もっと神格化されているのがこの演奏。
1947年、ナチス・ドイツ協力の疑いが無事晴れて、指揮台に復帰した当時のフルトヴェングラーの演奏である。
モノラルだが音は悪くなく、指揮者が言わんとしているであろうものはよく伝わってきて、充分に鑑賞に堪える。
こちらは音楽の持っているポテンシャルを最高の形で表現する、ということに重きをおいている。
ジャジャジャジャーンでテンポを落とす重心のかけかた、思い切った間の置き方、心が急ぐ部分で同じように音楽を急がせるやり方、それでいて音楽全体のバランスや造形が良いこと。まさに曲の最高の表現を目指したものである。