雑なクラシックの部屋

クラシックのCDに埋もれて死ねれば本望。

ベートーヴェン:交響曲第5番

「運命」という副題で呼ばれることが多い。


日本人は交響曲に「副題」をつけるのが好きで、何かと副題をつける。
 ドヴォルザークの交響曲第8番は「イギリス」(イギリスの出版社で出版しただけ)
 マーラーの交響曲第1番は「巨人」、第6番は「悲劇的」、第7番は「夜の歌」、第8番は「千人の交響曲」(のちに作曲者自身が削除)。
 ショスタコーヴィチの第5番は「革命」。
海外発のCDの表紙を見るとわかるのだが、どれも副題がついていない。


絵の題に「無題」とか、訳のわからない題がついていると不安になるのだが、その心理に似ているのだろうか。


僕は副題をつけるのは好きではないので、海外を含め一般に広まっているものは副題を尊重するとして(たとえばベートーヴェンならば第6番「田園」は副題を尊重する)、日本だけで広まっているものは基本的に副題をつけない。


話は戻る。
これは「ジャジャジャジャーン」の曲。
深刻な顔したベートーヴェンの肖像画とともに、「私こそがベートーヴェン、ジャジャジャジャーン」という感じが思い浮かぶ。
ベートーヴェンはこの曲の冒頭について、「運命はこのように戸を叩く」と言ったらしいが、証拠はない。


僕は中学2年の音楽の授業でこの曲に接して、以降ソナタ形式、交響曲のつくりを隅々まで学び、家にあったクラシックのLPを漁り、楽典の本を買い、以降クラシックの世界に足を踏み入れることになる。


狭い意味での交響曲は、
曲のどこかにソナタ形式の楽章がある、複数楽章の曲。
速い楽章、遅い楽章、舞曲、速い楽章の4つからなることが多い。舞曲が省略されることもある。
ハイドンがこの形式で曲を多く作って、以降多くの作曲家がこの曲形式を採用し、定義も拡張され、現在に至る。


ソナタ形式は、
主題の提示、主題の展開、主題の再現からなる、3部形式の曲の特殊形。
主題はたいてい2つ(曲によっては1つとか3つとかもある)、それぞれの主題の特徴は異なっていることが多い。
古典時代の交響曲では、提示部における2つの主題は平行調(調記号が同じ長調と短調の関係)もしくは属調(♭が1つ減るか♯が1つ増える調)の関係にあるものが多い。
一方で再現部の2つの主題は同じ調か、同主調(主音が同じ長調と短調の関係)で提示されることが多い。


ロマン派以降になるとかなり定義は自由になる。
作曲家によっては、管弦楽を伴うものを何でも交響曲と呼ぶようになる。
吹奏楽だけでも「交響曲」というものが出てくるようになる。


その知識と思いのたけを、中学3年の時に音楽のペーパーテストにすべて託したところ、1項目1点で計108点(集計は100点満点なので結局100点になった)の答案になったのである。


閑話休題。


最初に聴いた「第5番」の演奏は、マゼール指揮、ウィーン・フィルの来日公演のLPだった。
ジャジャジャジャーンの始まり、緊張感のある音楽、暗から明へ、苦悩から歓喜へと繋がるベートーヴェンの音楽美学が詰まったこの曲は、どんな演奏でもインパクトはある。


第1楽章 ハ短調、ソナタ形式。
第2楽章 変イ長調、2つの主題からなる変奏曲。
第3楽章 ハ短調 三部形式のスケルツォ。弱音からクレシェンドでそのまま第4楽章に至る。
第4楽章 ハ長調、ソナタ形式。


はじめての「ジャジャジャジャーン」から30年以上経過、よく聴いている演奏は以下の3種類。


ラトル、ウィーン・フィル
★★★★★★★★★9

ベートーヴェン:交響曲第2番&第5番
ベートーヴェン:交響曲第2番&第5番
EMIミュージック・ジャパン
ミュージック

ラトルは音楽を一度パーツに分解して、骨組みのように組み立てて表現する。
すなわち、「楽譜を解釈する」音楽を得意とする。
よってモーツァルトのようなありのままの美しさが求められる音楽や、
ワーグナーやブルックナーのように肢体の美しさがほしい音楽には向かない。
一方で最も強みを発揮するのがハイドン、
その次がベートーヴェン、さらにその次がマーラーだ。
そのベートーヴェンへの適性をよく示したのがこの演奏である。
曲の外観の美しさは、ウィーン・フィルという超一流のオーケストラが補ってくれている。


注意してほしいのは、ラトルの第5番を選ぶ時は交響曲同士(たとえば第2番+第5番、第5番+第6番)でカップリングされたCDか、交響曲全集を選ぶ方が良い、ということだ。


ラトルは第5番を同じウィーン・フィルと同じ時期に2回録音して、2種類とも世に出ている。
ひとつはここで紹介した演奏。
もうひとつは、チョン・キョンファのソロによるブラームスのヴァイオリン協奏曲とのカップリング。
演奏時間はすごく似ているが、別の演奏である。
そして、演奏の特徴も大部分似てはいるが、ブラームスとのカップリングの方はまだラトルの意図がウィーン・フィルに徹底されていないせいか、それともライブ録音のせいか、「ちょっとぬるい」部分や「成功していない」部分がある。


クライバー、ウィーン・フィル
★★★★★★★★★9

ベートーヴェン:交響曲第5番《運命》・第7番(SHM-CD)
ベートーヴェン:交響曲第5番《運命》・第7番(SHM-CD)
Universal Music
ミュージック

切れ味抜群の直球ストレート。
それだけなら現代の演奏に掃いて捨てるほどあるが、この演奏には、同時に至る所ニュアンスがあり、味わいがあり、音楽性がある。そしてウィーン・フィルの音色感の美しさがある。録音から既に40年以上経つが、この域に到達した演奏は多分出てきていない。
ますます神格化されている名演奏である。


フルトヴェングラー、ベルリン・フィル
★★★★★★★★★9

ベートーヴェン:交響曲第5番
ベートーヴェン:交響曲第5番
ユニバーサル ミュージック クラシック
ミュージック

クライバーの演奏よりももっと古く、もっと神格化されているのがこの演奏。
1947年、ナチス・ドイツ協力の疑いが無事晴れて、指揮台に復帰した当時のフルトヴェングラーの演奏である。
モノラルだが音は悪くなく、指揮者が言わんとしているであろうものはよく伝わってきて、充分に鑑賞に堪える。
こちらは音楽の持っているポテンシャルを最高の形で表現する、ということに重きをおいている。
ジャジャジャジャーンでテンポを落とす重心のかけかた、思い切った間の置き方、心が急ぐ部分で同じように音楽を急がせるやり方、それでいて音楽全体のバランスや造形が良いこと。まさに曲の最高の表現を目指したものである。